こんな時間に一人打ち上げ?(ドイツレクイエム) [芸術・趣味]
この三連休はドイツレクイエム三昧でした。
一体どれくらい歌ったんだろう??喉が破れるかと思いました。
「山田先生と秦野でドイツレクイエム」(←対訳:秦野の公募合唱団の応援に我々の合唱団から数名が参加する。)うわ〜、何と魅力的な企画でしょう。絶対に行きたいよ!って思いました。合唱団を代表する存在であらねばならないので、皆様の足を引っ張らないように頑張らねば!というプレッシャーもありました。が、何より大好きなドイツレクイエム。私は、「前世はブラームスがウィーンで住んでいたアパートの隣のおばちゃんで、独身のブラームスにクネーデル入りのスープとかを差し入れしたりしていた。」と豪語しているくらいブラ好きなのです。何かよく分からないけれども、本能的に体質的に合っているみたいです。もう嬉しくて楽しくて幸せな3日間でした。
うちの合唱団には、かれこれ20年以上の月日、在籍しています。初めは、もちろん歌いたくて入団して、1曲だけでやめるつもりが、団のコスチュームを作ってしまったので(笑)ズルズルと在籍して、いつの間にか、「ピアニスト」になって、出産してもまた出戻ったりして。その間に山田先生も19歳の学生だったのが、世界中で引っ張りだこの大先生になってしまいました。
(でもうちの団では20年選手というのはまだまだヒヨッコで、50年を超える団暦の方もいらっしゃいます。)何が、そんなに魅力があるんだろう?と考えると、もちろん世界的なすごい方たちと共演できる、とかデカイ話はいっぱいありますが、そういう活動をしたいだけなら、今時そんな企画をやっている団は他にもあるわけです。毎年、海外のあちこちに歌いに行っている合唱オタクの方たちだってゴロゴロいます。
が、私にとって楽しいのは、やはり人と人とのコミュニケーションが楽しいかな。「1を知って10を知る」なんて言葉がありますが、うちの団の人たちは、だいたい「1〜2」の言葉を使って「12〜3」のことをポンポンとやり取りしていて、私なんぞは、それに付いていくのがやっとなのですが、(いや、全然付いていけてない。)そういう世界を知ってしまうと、「1から10まで説明する」とか「何度も確認をする」とかが、恐ろしくつまらない世界に思えてしまいます。
そして良く考えれば、音楽をやっている間は、私たちは言葉を持ちません。例えば、今日のような本番の時間中、指揮者と私、隣で歌っている人、違うパートの人たち、オーケストラやソリスト、ひいてはお客様たち、すべて言葉以外のコミュニケーションで通じ合っているのです。それは、指揮者の手の動きであったり、表情であったり、隣の人のブレスとか・・・もっと言ってしまえばテレパシーのようなものがものすごい感度で飛び交っていると思うのです。それは「楽譜にこう書いてあるから、そのようにやっています。」という世界ではないのです。
今日のGP終了後に、山田先生が「違う世界を目指すから付いてきて」とおっしゃったのもそのことだし、本番終了後の解散式でおっしゃった「感覚を磨く」というのも、正にそのことだと思うのです。その時の具体的なお話の内容は、ここで再現すると何だかとても陳腐な言葉になってしまうのでやめておきますが。何か目に見えないものが、重なり合って、(それは一人一人違うものであるかもしれませんが、根底の部分で結ばれていたりして、)一つの世界を創造する、そういう世界を垣間見させてくれるのが、私にとってこの合唱団の仲間たちと過ごす嬉しさであり、山田先生や(もちろん小林先生)のすごさです。
日頃、漠然と考えていることの全てが、今日は一致して、そういう面では、とても嬉しい時間になりました。演奏の色々な反省点というのはもちろんたくさんあって、自分の下手さ加減にイライラしますが、また次の扉を開けたいと思うことができました。あちらの合唱指揮者の先生のご指導からたくさんのヒントもいただきました。そして、私が、こうやってオンステすることで、かなりのしわ寄せを家族には強いてしまうということも、忘れてはなりません。普通ならば、「やはり諦めよう」と思うところですが、今回はそれでも乗りたい!と思いました。でも、どうしてそこまで思ったのか、それも終わってみたら納得できました。本当に良い時間だったと思います。こんな締まりのない展開のまま、このブログを終えるのが申し訳ないような、そんな時間を過ごしました。
一体どれくらい歌ったんだろう??喉が破れるかと思いました。
「山田先生と秦野でドイツレクイエム」(←対訳:秦野の公募合唱団の応援に我々の合唱団から数名が参加する。)うわ〜、何と魅力的な企画でしょう。絶対に行きたいよ!って思いました。合唱団を代表する存在であらねばならないので、皆様の足を引っ張らないように頑張らねば!というプレッシャーもありました。が、何より大好きなドイツレクイエム。私は、「前世はブラームスがウィーンで住んでいたアパートの隣のおばちゃんで、独身のブラームスにクネーデル入りのスープとかを差し入れしたりしていた。」と豪語しているくらいブラ好きなのです。何かよく分からないけれども、本能的に体質的に合っているみたいです。もう嬉しくて楽しくて幸せな3日間でした。
うちの合唱団には、かれこれ20年以上の月日、在籍しています。初めは、もちろん歌いたくて入団して、1曲だけでやめるつもりが、団のコスチュームを作ってしまったので(笑)ズルズルと在籍して、いつの間にか、「ピアニスト」になって、出産してもまた出戻ったりして。その間に山田先生も19歳の学生だったのが、世界中で引っ張りだこの大先生になってしまいました。
(でもうちの団では20年選手というのはまだまだヒヨッコで、50年を超える団暦の方もいらっしゃいます。)何が、そんなに魅力があるんだろう?と考えると、もちろん世界的なすごい方たちと共演できる、とかデカイ話はいっぱいありますが、そういう活動をしたいだけなら、今時そんな企画をやっている団は他にもあるわけです。毎年、海外のあちこちに歌いに行っている合唱オタクの方たちだってゴロゴロいます。
が、私にとって楽しいのは、やはり人と人とのコミュニケーションが楽しいかな。「1を知って10を知る」なんて言葉がありますが、うちの団の人たちは、だいたい「1〜2」の言葉を使って「12〜3」のことをポンポンとやり取りしていて、私なんぞは、それに付いていくのがやっとなのですが、(いや、全然付いていけてない。)そういう世界を知ってしまうと、「1から10まで説明する」とか「何度も確認をする」とかが、恐ろしくつまらない世界に思えてしまいます。
そして良く考えれば、音楽をやっている間は、私たちは言葉を持ちません。例えば、今日のような本番の時間中、指揮者と私、隣で歌っている人、違うパートの人たち、オーケストラやソリスト、ひいてはお客様たち、すべて言葉以外のコミュニケーションで通じ合っているのです。それは、指揮者の手の動きであったり、表情であったり、隣の人のブレスとか・・・もっと言ってしまえばテレパシーのようなものがものすごい感度で飛び交っていると思うのです。それは「楽譜にこう書いてあるから、そのようにやっています。」という世界ではないのです。
今日のGP終了後に、山田先生が「違う世界を目指すから付いてきて」とおっしゃったのもそのことだし、本番終了後の解散式でおっしゃった「感覚を磨く」というのも、正にそのことだと思うのです。その時の具体的なお話の内容は、ここで再現すると何だかとても陳腐な言葉になってしまうのでやめておきますが。何か目に見えないものが、重なり合って、(それは一人一人違うものであるかもしれませんが、根底の部分で結ばれていたりして、)一つの世界を創造する、そういう世界を垣間見させてくれるのが、私にとってこの合唱団の仲間たちと過ごす嬉しさであり、山田先生や(もちろん小林先生)のすごさです。
日頃、漠然と考えていることの全てが、今日は一致して、そういう面では、とても嬉しい時間になりました。演奏の色々な反省点というのはもちろんたくさんあって、自分の下手さ加減にイライラしますが、また次の扉を開けたいと思うことができました。あちらの合唱指揮者の先生のご指導からたくさんのヒントもいただきました。そして、私が、こうやってオンステすることで、かなりのしわ寄せを家族には強いてしまうということも、忘れてはなりません。普通ならば、「やはり諦めよう」と思うところですが、今回はそれでも乗りたい!と思いました。でも、どうしてそこまで思ったのか、それも終わってみたら納得できました。本当に良い時間だったと思います。こんな締まりのない展開のまま、このブログを終えるのが申し訳ないような、そんな時間を過ごしました。
修了のうた〜続き [育児]
先日、「修了のうたが泣ける」という話を書きました。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=jhpBFXIKglg
それ以来、なんだかとっても気になってしまって、
どうしてかな〜、どの辺が・・・とずっと考えています。
歌詞から情景がよく思い浮かぶし、それが曲調とも良く合っている、なんて
すごーく当たり前な理由しか思い浮かばず(><)
でも、ず〜っと考えて、他の曲も歌ってみたりして、幾つか気づいたことがあります。
「修了のうた」は、テンポが比較的ゆっくりめです。
他の曲がメロディーの流れを楽しむ(?)感じに対して
一つ一つの歌詞を噛みしめる余裕があるのかな、と思いました。
また、他の曲の歌詞は、かなり詳しく具体的な幼稚園(保育園)生活を描いていますが、
「修了のうた」は割と言葉少なく、抽象的です。
それだけにそれぞれの心にある思い出が引き出されやすいのかな、とも思いました。
そして、もう一点、これはかなり重要なポイントかなと思うのですが、
曲の最後が「ごきげんよろしく(よろしゅう)さようなら。」と終わっています。
具体的な曲名を挙げるのは避けておきますが、
「大人になってもずっと友だち」とか言われると、
確かにそれは理想だけど絵空事だなと、ちょっと引いてしまう自分がいます。
それよりも、お庭のお花や鳥たちとも、「今日でお別れ」とゆっくりおさめる方が
ずっと潔いし、現実的かなと思いました。
ちょっとひねくれ過ぎかしら?私。。。
さらに、ついでに、この歌について調べてみたところ、
松崎功/作詞、大中寅二/作曲と分かりました。
松崎功さんについては詳しいことは分かりませんでしたが。
大中寅二さんは、大中恩先生のお父さん、阪田寛夫先生の叔父さんにあたる方で
あの「椰子の実」の作曲者。
そもそも一流の方の曲でした、というオチ。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=jhpBFXIKglg
それ以来、なんだかとっても気になってしまって、
どうしてかな〜、どの辺が・・・とずっと考えています。
歌詞から情景がよく思い浮かぶし、それが曲調とも良く合っている、なんて
すごーく当たり前な理由しか思い浮かばず(><)
でも、ず〜っと考えて、他の曲も歌ってみたりして、幾つか気づいたことがあります。
「修了のうた」は、テンポが比較的ゆっくりめです。
他の曲がメロディーの流れを楽しむ(?)感じに対して
一つ一つの歌詞を噛みしめる余裕があるのかな、と思いました。
また、他の曲の歌詞は、かなり詳しく具体的な幼稚園(保育園)生活を描いていますが、
「修了のうた」は割と言葉少なく、抽象的です。
それだけにそれぞれの心にある思い出が引き出されやすいのかな、とも思いました。
そして、もう一点、これはかなり重要なポイントかなと思うのですが、
曲の最後が「ごきげんよろしく(よろしゅう)さようなら。」と終わっています。
具体的な曲名を挙げるのは避けておきますが、
「大人になってもずっと友だち」とか言われると、
確かにそれは理想だけど絵空事だなと、ちょっと引いてしまう自分がいます。
それよりも、お庭のお花や鳥たちとも、「今日でお別れ」とゆっくりおさめる方が
ずっと潔いし、現実的かなと思いました。
ちょっとひねくれ過ぎかしら?私。。。
さらに、ついでに、この歌について調べてみたところ、
松崎功/作詞、大中寅二/作曲と分かりました。
松崎功さんについては詳しいことは分かりませんでしたが。
大中寅二さんは、大中恩先生のお父さん、阪田寛夫先生の叔父さんにあたる方で
あの「椰子の実」の作曲者。
そもそも一流の方の曲でした、というオチ。
修了のうた [育児]
3月ですね〜。早いもので今年ももう6分の1が終わりました。
3月と言えば、卒業・卒園のシーズン。
うちの子どもが通う幼稚園でも、年が明けてからずっと卒園式の練習をしています。
発表会や運動会の練習よりも熱心みたい。
一体、どんだけ立派な卒園式なんだ???
そして家でも幼稚園で習ってきた歌をバカでかい声で歌いまくる我が子。
「思い出のアルバム」と「修了のうた」の2曲を歌うそうです。
「思い出のアルバム」と言えば、卒園式の定番中の定番。
自分も歌ったし、そういう意味では私にとっても「思い出」のはずですが、
明るい曲調だし、「泣く」ところまではいかないんですね。
「修了のうた」は私は知りませんでしたが、少し格調高い雰囲気で、
歌詞も古臭いのですが、良い歌です。
知らない歌の時には、すぐにyoutubeで元歌を検索。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=jhpBFXIKglg
私もすっかり覚えてしまいましたので、時々口ずさんでしまいますが、
本当に、毎回泣けてきます。
年中さんのうちから、こんなに泣けてきて、
来年の本番では、一体どれだけ泣くんでしょう?
あー、いつまでも赤ちゃんでいて欲しかったなあーと残念な今日この頃。
3月と言えば、卒業・卒園のシーズン。
うちの子どもが通う幼稚園でも、年が明けてからずっと卒園式の練習をしています。
発表会や運動会の練習よりも熱心みたい。
一体、どんだけ立派な卒園式なんだ???
そして家でも幼稚園で習ってきた歌をバカでかい声で歌いまくる我が子。
「思い出のアルバム」と「修了のうた」の2曲を歌うそうです。
「思い出のアルバム」と言えば、卒園式の定番中の定番。
自分も歌ったし、そういう意味では私にとっても「思い出」のはずですが、
明るい曲調だし、「泣く」ところまではいかないんですね。
「修了のうた」は私は知りませんでしたが、少し格調高い雰囲気で、
歌詞も古臭いのですが、良い歌です。
知らない歌の時には、すぐにyoutubeで元歌を検索。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=jhpBFXIKglg
私もすっかり覚えてしまいましたので、時々口ずさんでしまいますが、
本当に、毎回泣けてきます。
年中さんのうちから、こんなに泣けてきて、
来年の本番では、一体どれだけ泣くんでしょう?
あー、いつまでも赤ちゃんでいて欲しかったなあーと残念な今日この頃。