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こんな時間に一人打ち上げ?(ドイツレクイエム) [芸術・趣味]

IMG_3136 (1).jpg この三連休はドイツレクイエム三昧でした。
 一体どれくらい歌ったんだろう??喉が破れるかと思いました。

「山田先生と秦野でドイツレクイエム」(←対訳:秦野の公募合唱団の応援に我々の合唱団から数名が参加する。)うわ〜、何と魅力的な企画でしょう。絶対に行きたいよ!って思いました。合唱団を代表する存在であらねばならないので、皆様の足を引っ張らないように頑張らねば!というプレッシャーもありました。が、何より大好きなドイツレクイエム。私は、「前世はブラームスがウィーンで住んでいたアパートの隣のおばちゃんで、独身のブラームスにクネーデル入りのスープとかを差し入れしたりしていた。」と豪語しているくらいブラ好きなのです。何かよく分からないけれども、本能的に体質的に合っているみたいです。もう嬉しくて楽しくて幸せな3日間でした。

 うちの合唱団には、かれこれ20年以上の月日、在籍しています。初めは、もちろん歌いたくて入団して、1曲だけでやめるつもりが、団のコスチュームを作ってしまったので(笑)ズルズルと在籍して、いつの間にか、「ピアニスト」になって、出産してもまた出戻ったりして。その間に山田先生も19歳の学生だったのが、世界中で引っ張りだこの大先生になってしまいました。

(でもうちの団では20年選手というのはまだまだヒヨッコで、50年を超える団暦の方もいらっしゃいます。)何が、そんなに魅力があるんだろう?と考えると、もちろん世界的なすごい方たちと共演できる、とかデカイ話はいっぱいありますが、そういう活動をしたいだけなら、今時そんな企画をやっている団は他にもあるわけです。毎年、海外のあちこちに歌いに行っている合唱オタクの方たちだってゴロゴロいます。

 が、私にとって楽しいのは、やはり人と人とのコミュニケーションが楽しいかな。「1を知って10を知る」なんて言葉がありますが、うちの団の人たちは、だいたい「1〜2」の言葉を使って「12〜3」のことをポンポンとやり取りしていて、私なんぞは、それに付いていくのがやっとなのですが、(いや、全然付いていけてない。)そういう世界を知ってしまうと、「1から10まで説明する」とか「何度も確認をする」とかが、恐ろしくつまらない世界に思えてしまいます。

 そして良く考えれば、音楽をやっている間は、私たちは言葉を持ちません。例えば、今日のような本番の時間中、指揮者と私、隣で歌っている人、違うパートの人たち、オーケストラやソリスト、ひいてはお客様たち、すべて言葉以外のコミュニケーションで通じ合っているのです。それは、指揮者の手の動きであったり、表情であったり、隣の人のブレスとか・・・もっと言ってしまえばテレパシーのようなものがものすごい感度で飛び交っていると思うのです。それは「楽譜にこう書いてあるから、そのようにやっています。」という世界ではないのです。

 今日のGP終了後に、山田先生が「違う世界を目指すから付いてきて」とおっしゃったのもそのことだし、本番終了後の解散式でおっしゃった「感覚を磨く」というのも、正にそのことだと思うのです。その時の具体的なお話の内容は、ここで再現すると何だかとても陳腐な言葉になってしまうのでやめておきますが。何か目に見えないものが、重なり合って、(それは一人一人違うものであるかもしれませんが、根底の部分で結ばれていたりして、)一つの世界を創造する、そういう世界を垣間見させてくれるのが、私にとってこの合唱団の仲間たちと過ごす嬉しさであり、山田先生や(もちろん小林先生)のすごさです。

 日頃、漠然と考えていることの全てが、今日は一致して、そういう面では、とても嬉しい時間になりました。演奏の色々な反省点というのはもちろんたくさんあって、自分の下手さ加減にイライラしますが、また次の扉を開けたいと思うことができました。あちらの合唱指揮者の先生のご指導からたくさんのヒントもいただきました。そして、私が、こうやってオンステすることで、かなりのしわ寄せを家族には強いてしまうということも、忘れてはなりません。普通ならば、「やはり諦めよう」と思うところですが、今回はそれでも乗りたい!と思いました。でも、どうしてそこまで思ったのか、それも終わってみたら納得できました。本当に良い時間だったと思います。こんな締まりのない展開のまま、このブログを終えるのが申し訳ないような、そんな時間を過ごしました。
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