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2008年ドイツ旅行−2 [ドイツ旅行記]

♪6/17 ケルン観光

P6170009.jpg 『一夜明けて』
 ウルズラ教会というところの近くのホテル。
 
 ケルンは信仰深い街?教会がやたらと多いらしい。







P6170010.jpg 『朝食』
 いつものように、パンとチーズとハムの朝食。今回、3つのホテルに泊まったが、このホテルの朝食が一番充実していた。

 いつものように、サンドイッチを作って昼食用に持参する。







P6170013.jpg 『大聖堂』
 過去2回のドイツ旅行では涙を飲んであきらめたので、今回だけはどうしても外せなかったケルンのドム。シューマンの「詩人の恋」の歌詞(=ハイネ詩)の中にも出てくるので。間近で見るとほんと〜に大きい!!!しかも驚いたことに、駅の目の前なんです。ホームから直接アクセス出来るんです。通勤の人たちがせわしなく歩いていました。でも、一歩ドムの中に入ると静寂。









P6170014.jpg 『シューマンハウス』
 ケルンは宿泊地なので、今日は、まずデュッセルに行く。
 
 デュッセルでの目的は、シューマンが住んでいた家を訪ねること、そして、精神の病に冒されたシューマンが、雨の中、走ってライン川に飛び込んだという道を歩くこと。いつものことながら、ガイドプックの地図だと簡単そうに見える距離も、実はかなりの距離があり、駅からはかなり歩いた。

 玄関脇のレリーフ。
ここも博物館として解放しているようだが、開館の時間が限られているので、あきらめることに。


P6170018.jpg 
 『シューマンが使ったピアノ』

 まだ交差弦になっていないのが分かります。








P6170019.jpg とても可愛らしいので思わずパチリ!











P6170023.jpg 『長〜いソーセージ』
 ケルンに帰って来てから夕食。

 ブロイハウスジオンという居酒屋(?)地球の歩き方に載っていて、かなり探して行ったんだけど、駅の近くにたくさん支店があることを後日発見。

 ソーセージは約1メートル。料理はかなり塩辛いです。なのでビールの進むこと、進むこと。でもちっとも酔いません。汗で出てしまうんでしょうか?


P6180025.jpg 『ケルン歌劇場』
 デュッセルでもここでも、今回はちょうどオペラを観ることは出来ませんでした。残念。

 魔笛の垂れ幕が掛かっています。本場で、ドイツ語のオペラ観たかったなあ。。。








P6180026.jpg 『オーデコロン(ケルンの水)』
 歌劇場の向かいには、オーデコロンという名前の由来となった「4711」という店がある。ケルンは英語読みするとコロニーとなり、ケルンの水=オーデコロンというらしい。

♪6/18 ボン観光 を読む→

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2008年ドイツ旅行−1 [ドイツ旅行記]

♪6/16 成田→フランクフルト→ケルン

P6170001.jpg 『フランクフルト・ヨーゼフ国際空港』今回の旅は憧れの「ルフトハンザ」を使うことに。。。この時期、他の航空会社を利用しても値段に大差がない。と言うより、もちろんとっても安い便もあるけれど、乗り継ぎをするのはやはり面倒だし時間の無駄なので、行きはフランクフルト、帰りはミュンヘンからの直行便を利用することにした。
 空港に降り立った途端に、「あ〜この匂い。。。」ドイツってちょっと豆臭いと思いませんか???

P6170005.jpg 『ローレライ』フランクフルト空港の地下からFern Bahn(長距離列車)というのが出ていること、DBのホームページで時刻もちゃんと調べてあったし、何も迷うことはないはずなのに・・・・いきなり乗る列車を間違えてしまった。ケルンまでの所要時間が1時間も違う!値段も20ユーロくらい違う(もちろん、高い方のチケットを買った)。
 けれども、怪我の功名?
 もし正しい列車に乗っていたら、ローレライを見ることは出来なかった。速い列車は車で言うところのバイパスみたいな路線で、山の方を走るので。やはりせっかく来たのだから、ライン川に沿ってゆっくりと景色を楽しむのが正解(^^)

P6170006.jpg 『異国での第一食』ケルン駅から徒歩5分のホテルを取ったはずなのに、1時間くらい迷って到着。(だって、ドイツ人みんな、親切なのはいいけど、嘘を教えるんだもん!結果、私が最初に曲がろうとした道で正しかった。)

 なので、ずいぶんと暗くなってしまって、10時頃の夕食。成田で朝食を摂る時に、敢えて避けた鮭(Lachs)を食べるはめに。。。
 いきなりで申し訳ありませんが、店内をねずみが走っていました。(不潔な感じの店ではなかったですが)

♪6/17 ケルン観光 を読む→
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2006年ドイツ旅行−12 [ドイツ旅行記]

ドイツ珍道中記2006 ドイツ語編 ~ウムラウト省略なので想像して読んでね~

+27.Marz.06.Mo.
 Heute bin ich nach Berlin abgefahren. Zuerst war ich ubererrascht dass, ich am bahnstieg von Nippori Herr Kitazasa und seine Familie getroffen habe. Weil ich viel Zeit bis zur Abfahrt hatte,habe ich den Abflug und die Landung geschaut. Im Flugzeug war meine Nachbarin eine Toueconductorin. Sie war fruendlich und nett.

+28.Marz.06.Di.
 Ich habe eine Bekannte,die in Berlin wohnt.Sie lernt Gesang. Diesmal habe ich bie ihr uberernachtet. Sie wohnen zu dritt. Wir haben eingekauft und sie hat fur mich Harumaki gekocht. Auch eine Zimmerkameradin (Sigrid) hat mitgegessen.

+29.Marz.06.Mi.
 Heute war ich sehr mude. Weil von von 9 Uhr bis 24 Uhr drauァen war. Und ich bin viel viel zu Fuァ gegangen. Vor Mittag haben ich und meine Freundin den usstellunguraum und ihere Werkstatte von Bechstein besucht. Wir haben eine CD,eine DVD,eine schone Tasche und viele prospeke bekommen. Danach bin ich zum Notenladen und so weiter gegangen. Abends habe ich in der Staatsoper-Cos fan tutte von Mozart genossen. In Japan habe ich meinem Platz uber das Internet reserviert. Aber ich habe etwas falsch gemacht und zwei Platze genommen. Also habe ich neben der Abendkasse viele Leute gefragt und eine freie Karte verkauft. Die Oper war wunderbar. Im Opernhaus habe ich einen Japanischen Dirigenten und seine Frau gesehen.

+30.Marz.06 Do.
 Heute bin ich nach Potzdam gefahren. Leider hat es den ganzen Nachmitteg geregnet. Ich habe das Neue Palais und San-Sousi besichtigt. Die Fuhrerin hat die Geschichte, den Konig, den Schmuck u.s.w.erklart. Jeder Raum war sehr herrlich aber der Garten war nicht sonderlicher als Versailles oder Schonburg. Abends habe ich mir Tannheuser in der Deutschen Oper angesehen. Der Diligent des Abends hat sich mit dem Japaner Kazushi Ono abgewechselt. Ich freue mich, dass Japaner eine wichtige Rolle spielen.

+31.Marz.06.Fr.
 Heute bin ich nach Leipzig mit dem ICE gefahren. Leipzig war viel kleiner als Berlin. Aber fur mich war es viel angenehmer. In Berlin habe ich gedacht, dass ich nicht in Deutschland wohnen kann. In Leipzig waren viele historische Gebeude und moderne Gebeude gemischt. Ich hoffe, dass Menschen grosse Kultur schutzen. In der Thomaskirche habe ivh eine Chorprobe gehort. Ich habe selbst Tranen vergossen. Abends habe ich an der Mottet in Thomaskirche teilgenommen. Die Knaben von Thomanerchor waren sehr hubsch und der Gesang war himmlisch.

+01.April.06.Sa.
 Heute habe ich viele Heuser von beruhmten Kunstler mendelthsohn, Robert und Clara Schumann und Schiller besucht. Das Schillerhaus war fern von der Stadt und sehr einfach. Ich habe verstanden, dass das Bauernleben damals arm war. Dann bin ich wieder zur Mottete in der Thomaskirche gekommen. Und danach habe ich an der Turmfuhrung teilgenommen. Ich war sehr ubererrascht, dass ganz oben vom Turm es ein paar Zimmer gab und man dort wohnt.Die Aussicht vom Turm war wunderbar.

+02.April 06.So.
 Am Morgen bin ich zum Gottesdienst in der Nikolaikirche gegangen. Dann bin ich nach Dresden bgefahren. Aber ich hatte grosse Sorge. Weil ich Nachrichten gehort habe, dass das Hochwasser Dresden angreift. Aber ich hatte kain Problem. Ich konnte alles besichtigen. Der erste Eindruck von Dresden war schlecht. Die Prager Strasse, die eine groァe Strasse vor dem Hauptbahnhof war ganz modern und prachtig.

+03.April.06.Mo.
 Heute habe ich die Frauenkirche u.s.w.besichtigt. Nachmittags Habe ich aneiner Rundfahrt zum Schloss Pillnitz und an der Fuhrung von der Semperoper teilgenommen. Das Schloss war wegen des Hochwassers geschlossen aber im Garten waren viel Tiere. Die Semperoper war im italienischen Stil und sehr herrlich und schon. Ich glaube, dass das Opernhaus in Japan nur funktional und uninteressant ist. Vielleicht interessieren sich Auslander nicht fur Japanische Opernheuser(Eigentlich kein Opernhaus---)

+04.April.06.Di
 Heute war es auch lang. Ich habe alle Museen im Zwinger Schloss besucht. Weil besonders Alte-meister sehr groァ war, konnte ich nicht verstehen was ich schon besichtigt habe oder nicht. Ich habe zwei Tee Tassen von Meisener Pozellan gekauft. Ich wollte fur meinen Vater ein Portemonnaie kaufen aber ich habe "made in Itary " geschaut. Naturlich habe ich es nicht eingekauft. Dann bin ich nach Berlin zuruckgekommen. Ich musst auf den Zug am Bahnstieg lang warten. Auァerdem war der Zug c.a.30 minuten zu spat. Es war sehr kalt.

+05.April 06.Mi.
 Heute war es ganz ganz schlecht. Der Flug ist gecancelt worden. Weil meine Freundin mitgekommen war, habe ich mich ermutigt gefuhlt. Sie hat mit dem Beamten gesprochen. Ich bin von KLM zu Air France umgebucht worden. Nach Japan komme ich einen halben Tag zu spat.
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2006年ドイツ旅行−11 [ドイツ旅行記]

*4月5~6日(水~木) ベルリン~東京

ベルリン生活のまとめ

06033108.P3310049.jpg日本で言うところの『オートロック』

いわゆる部屋番号(101とか)はないので、住人の名前の書いてあるブザーを押して、対応してもらう。郵便受けなどもドアの内側にあるので、配達の人はどうするのかな?
夜になっても電気は付いていないので、開け閉めする人がスイッチを押すと、しばらくの間、点灯する。初めての日はそれが分からなかったので、真っ暗な中を手探りで歩いた(^^;


06033107.P3310041.jpg06033107.P3310042.jpgお世話になったお宅のキッチン













冷蔵庫横に見える丸い穴は洗濯機。ドイツでの洗濯は『煮る』。つまり、高温で(最低40℃)約2時間洗います。日本でも最近は斜め式ドラムっていうのが流行っていますが、ドイツでは、全く真横を向いています。その方が洗濯物が上から下に叩き付けられう感じになるので、綺麗になるとか。










06033108.P3310047.jpgバスルーム

私が海外には生活出来ないと確信する理由のかなり大きな部分が、この「バストイレ一緒」です。髪の毛を思いきり水(お湯)をバシャバシャして洗いたい!!ゆっくりお湯につかりたい!!!
帰国して最初に感じる幸せは、お風呂はいいねえ。





06033108.P3310048.jpg私が使った部屋。思ったより広くなく細長い。たぶん8帖程度だと思う。ハンガーをかける場所がなくて困った。











060405_1656~01.jpg060405_1654~01.jpg最後にお世話になったくるみさんと。








長いようで短い、短いようで長い9泊10日の旅を終え、いよいよ帰国の日が来ました。・・・と、これが今回の旅の最大の『ハプニング勃発』だったんだな。何しろ、飛行機が飛ばなかったんですから!
あまり早い便ではなかったので、普通に起きて支度をして、まだ揃っていないお土産などを近くのスーパーで買って、空港に向いました。くるみさんが一緒に来てくれたので、重~~~~~~くなってしまったスーツケースも何とか運べました。順調に空港に着いて、ツォル(税関)で免税の手続きも済ませたら、なんと私の乗るはずの飛行機だけがキャンセルになっているではありませんか???ぎょえええ(@_@)何しろ、ギリギリの日程を立てているのです。この飛行機に乗れなければ、東京での仕事をキャンセルしなければなりません。バカンス気分もどこへやら、そのことばかりが気になって仕方ありませんが。誰かに聞こうにもしゃべれないし、くるみさんがいてくれて本当に助かりました。でもまあ、私のミスではなく航空会社のせいなので、こちらが何かを交渉する必要もなく長い長い列に並んで(いっこうに急ぐ気配もないし)ひたすら待って、チケットを差し出したら、自動的に振り替えのチケットをくれました。結局、半日ほど遅れることになり

ガ~~~~~ンンン!!!アウトじゃん。
なぜ、その便だけが飛ばないのか理由は今でも分かりません。とても風が強い日でしたから、そのせいでしょう。でも、他の飛行機は飛んでいるのに???そう、行きの飛行機を思い出してみれば、あんなにちっぽけな飛行機だったのだもの、ちょっとした風でもきっと飛ばされてしまうのでしょう。。。
とりあえず、タクシーチケットも支給してくれて、くるみさんの家まで再び戻ることにしました。そして、彼女が朝、焼いていたパンで昼食にして、『これこれこういう事情になった』旨、親と合唱団の役員に連絡。そうしたら、何だか気が楽になってしまって、それから数時間、ずっとくるみさんとしゃべっていました。途中で場所を変え、雑誌に載っていた「カカオ」という喫茶店に行って、(飲む)チョコレートとケーキでお茶をしながら、またしゃべっていました。考えてみれば、ずっとお世話になりましたが、行動を共にしたことはほとんどなかったので、この数時間は貴重だったかも。
『あっという間に過ぎたね』なんて言いながら、再び空港に向いました。今度は、何ごともなく無事に出発。航空会社がKLMからエアフランスに変更になったのですが、飛行機の中に入った途端、香水の臭いにすっかりやられてしまいました。この先10何時間もこの臭いと付き合うのかと思うと「これだからフランスは嫌だよっ」と思いました。
乗り換えはパリ、シャルル・ドゴール空港。この大層な名前が私には何だか、「花の都パリの誇り」のように思えてなりません。。。そして、やたらと空港職員や店員などが日本語を話すのもイケスカない感じがしました。一応、ドタキャンをして迷惑をかけた合唱団の皆様にお詫びの土産を買わねば・・・と、免税店で買い物をしましたが、その時は特に『あ~完璧に日本人、カモにされてるよ~』と思いました。

こんな風に、私の旅は幕を閉じました。

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2006年ドイツ旅行−10 [ドイツ旅行記]

*4月4日(火)ドレスデン~ベルリン

『数学物理学サロン』
魅力的な名前でしょ?時計とか度量器とか望遠鏡とか、そんなチマチマした器具がたくさん。どこかの学校の生徒たちが見学に来ていてレポートを書いていたので、とても賑やかでした。

『マイセン磁器コレクション』
巨大な壷とか動物の形をしたマイセンとか人形とか、とにかく色々。地震が来たら一発で割れるぞ~なんて余計な心配をしながら見学。

『武器博物館』
武器と言うより立派な美術品。あんな武具をつけていたら戦えないだろうなあと思う。日本の戦国武将も立派な武具を身に付けてましたけどね。一応、自分の地位や名誉や誇りを外見で表す、って言うのも大切なことなのかなと思います。

『古典巨匠絵画館』
とにかく広くて疲れた・・・どこから見学してどこを見学していないのか、すっかり分からなくなってしまう程でした。一体いくつ展示してあるのでしょうか?有り難みもないってもんです。「システィーナのマドンナ」という有名な絵画だけは見逃さないようにと思ったけれど、どこにあるかさっぱり分からなかったので、係りの人に聞きましたら、つい今しがた通った部屋に目立たなく掛けてありました。日本でしたら、そんな有名な絵画があれば黒山の人だかりだからすぐに分かるのですが、他の絵と変わらない様子で人が見ていました。

p08.jpgところで、ドレスデンの街はエルベ河を挟んで「旧市街」(下方)と「新市街」(上方)に別れていて、『エルベの真珠』と謳われるほど美しい街だそうです。新市街の方が低地にあるため、今回のHochwasserの被害を深刻に受けましたが、主な観光名所は旧市街にあるためほとんど影響を受けなかったのです。観光名所はほとんど全て1ケ所に固まっていて、アウグストゥス橋の袂の広場に「9ゼンパーオパー」と「10ツヴィンガー宮殿」が隣り合っており、道をはさんで「7ドレスデン城」その城壁に、かの「11君主の行列」が描かれています。
「君主の行列」を見ながら進むとヒルトンホテルがあり、その前をさらに進むともう1つお隣りの広場、つまり「3フラウエンキルヘ」へ通じるというわけです。が、ちょうど大規模な工事が行われているので、「君主の行列」とヒルトンの正面玄関が分断されていて、河の方へ迂回せねばなりません。

060529.jpgヒルトンは日本でもよく見かけるホテルだし、ドレスデン第1夜の夕食をとったレストラン「小倉」が入っていたり、1階の土産物屋さんやマイセンのショップもあって、何となく心安いので、ドレスデン滞在中何度も立ち寄ってはトイレを拝借していました(^^; もちろんトイレだけではありませんよ。悪友へのお土産も買ったし、マイセンのティカップも買いました。生まれて初めて『免税』という手続きをして、ちょっと大人になった気分。

ベルリンへの帰路は『ユーロシティ(EC)』に乗りました。ユーロシティは国際新幹線のようなものですが、ICEに比べると格段にレベルが下がります。私が乗ったECはプラハ発、ハンブルグ行きの列車でした。ドレスデンまで来る途中、洪水の被害の深刻な地域、つまりチェコやハンガリーの各地を通ってくるため、1時間近く遅れての到着でした。とても寒い日でしたので、ホームでずっと待っているのは、それはそれは辛かったです。ドレスデンという地域性なのか、とにかく風が強い3日間でした。

ドレスデンからベルリンへは直通で3時間ほど。途中で、シェーネフェルト空港駅というのに停まりました。ベルリンには空港が3つあり、1つは多くの国際線が発着する「テーゲル空港」ヒトラー時代に作られ主に国内線が発着する「テンペルホフ空港」そして例えばアエロフロートなどを利用した場合に使われる「シェーネフェルト空港」です。シェーネフェルト空港あたりまで来れば、ベルリンの中心地まであとわずかなはずですが、まだまだ開発から取り残されており、さびれた雰囲気が漂っていて、こんな所にも“東”を感じてしまいました。

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2006年ドイツ旅行−9 [ドイツ旅行記]

*4月3日(月)ドレスデン第二日

06040309.P4030098.jpg今日は魔の月曜日。
つまり、ツヴィンガー宮殿内の全ての美術館が休館日なので、ドレスデンにいる意味が半減します。そのために私は火曜日までドレスデンにいることにして、帰国を1日延ばしました。そのことで後で手痛目に・・・

←新市街から旧市街に向って歩く。
中央に見える金ぴかの銅像は確かアウグストゥス強王、だったような。。。


06040310.P4030099.jpg←『君主の行列』
ドレスデン城の城壁??歴代の皇帝が左から右へ向って並んで行進している図。全てマイセンで出来ているそうです!!!これが美術館の中とかでなく、普通に街を歩いていると見られます。

ちなみにマイセンはドレスデンから車で30分ほどですが、訪れる余裕はありませんでした。


k001.jpgk004.jpg
ドレスデンは今年2006年建都800年を迎えます。その記念に合わせ、大戦で破壊されたままになっていたフラウエンキルへ(聖母教会)が修復されました。左は破壊される前、右が現在。修復する時に、瓦礫の山の中から1つ1つ破片を拾って使えるものは全て使ったそうです。そのため、右の写真を見ると分かるように、壁の色が少しちぐはぐになっています。茶色っぽく見える部分は元の壁。

06040311.P4030102.jpg←これも瓦礫の中から見つかった十字架。
少し曲がっているが、ほとんど無傷。















06040311.P4030101.jpg←教会の地下にももう1つ教会が。

日本でも美術館などでよく貸し出されている音声ガイドが、ここでも貸し出されていました。なんと、10カ国語くらいに対応していて、もちろん日本語もあります。全ての説明を聞くと45分程かかりますが、非常に分かりやすかったです。しかし、そのためか、教会の中に留まっている人の数が多く、とても混雑していて、良くも悪くも「ああ観光地だなあ」と思いました。

06040313.P4030104.jpg午後は、ピルニッツ宮殿へ行くバスツアーに参加。2階建てバスと言うと聞こえは良いですが、日本では考えられないくらい乗り心地の悪いバス。戦争中の映画に出てくる、ボンネットバスみたいな乗り心地(って乗ったことないですよ~)


元々、宮殿内部は月曜日休館のため、見学は出来ないのですが、そうでなくてもHochwasserの影響でそれどころではなかったようです。そこへ行く道々に通る村(町?)の川沿いの家もかなり沈んでいました。テレビのニュースで見たのと同じ光景。

06040313.P4030104.jpg06040314.P4030105.jpg←建物の表側は何ごともなかったよう。

ピルニッツへのバスツアーはおよそ2時間ほどでした。建物の中は見られなかったものの庭園は見ることができました。たくさんのりすなどがいて、とても可愛らしかったです。もちろん写真におさめたかったのですが、もうカメラの充電が切れてしまい、撮ることができませんでした(^^; また、日本から運ばれたという椿の木(温室)もありました。ドイツ人には珍しいのかもしれませんが、私には普通の木なので中には入らず、外でりすなど探して待っていました。ガイド(運転手)のおじさんが、私がたぶんドイツ語を理解していないだろうことを心配して「もっとゆっくり話そうか」と言ってくれましたが、どうせ分からないものは分からないので・・・

←裏側(川側)は建物が半分水の中。



k012.jpgk008.jpgk011.jpg町中に帰って来てから、『ゼンパーオパー』のフュールングに参加しました。こちらはもう完璧に写真はなしです。上↑は絵葉書から。
今度のガイドはおばさんでした。ピルニッツのおじさん以上に聞き取れなくて、ほとんど分かりませんでした。でも、まあ日本のオペラ劇場と違い、とにかく贅の限りを尽くしてと言うか、芸術作品としての箱と言うか、中で行われている公演と同じ重さで箱も作られているのだなあと感じます。


p07.jpg←フラウエンキルへ横の「コーゼルパリー」というレストランに入りました。元の貴族のお屋敷を改装したものだそうです。(パンフレット)

ケーキの種類が豊富とガイドブックに書いてありました。「ドレスナーアイアーシッケー」つまり卵ふわふわのケーキを頼んだら、メチャ美味しかったです!(~0~)
もちろん、内装なども良かったですが、常連さんが多いみたいだったので、私みたいな部外者はちょっと肩身が狭かったです。






06040318.P4030106.jpgケーキだけ食べて出てこようと思ったのですが、だんだん長居になり、そのうちお腹も空いて来て、今日がまともに食べる最後の夕食になるのに、また「シュパルゲル(白アスパラ)を食べていなかった」ことに気付いて、注文しました。あまり良く撮れていないので分かりづらいですが、白と緑のアスパラをクレープで包み、上にチーズがかかっています。アスパラは日本のものよりずっと太く長く、それが10本近くあり、クレープも3枚重ねくらいになっていて、量が多い上に、チーズもハムも塩辛く、一緒に注文したにんじんのスープも塩辛く、思わずミネラルウォーターを追加注文したほどでした。。。。

*4月4日(火)ドレスデン~ベルリン を読む→
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2006年ドイツ旅行−8 [ドイツ旅行記]

*4月2日(日)ライプツィヒ~ドレスデンへ

実は昨晩、ドレスデンのホテルに電話をして『キャンセルをしたい』と言いました。『WARUM?(なぜ?)』って思いきり言われ、え~これ以上ドイツ語しゃべれないんですけど・・・・と思いながら、やっと『Hochwasser』という単語を言いましたら、全然問題ないと言うのです。フラウエンキルヘもドレスデン城もゼンパーオーパーも全部見学出来ると。じゃあ、一体あのテレビの映像はなんなんだ???と不審に思いながらも、『Dann・・・ich komme.』と答えました。日本語なら「行きます」ですが、ドイツ語では「来ます」と言うのですよね(英語でもそうですね)。でも、それがすっと出て来たのでちょっとは成長したかななんて、レベルの低い満足(^^;
ライプツィヒとドレスデンはとても近くてICEなら1時間くらいです。なので、もし行ってみてやっぱりダメそうなら帰ってくればいいや~と太っ腹でいくことにしました。

p03.jpgガイドブック的に言うと、ベルリンから“日帰りで”出かける都市であるライプツィヒに2泊もしてしまった私。けれども、時間にゆとりがあったからこそ経験できたことが一杯ありました。
その1つが教会のミサに参加することでした。“みさ”という名前で西洋音楽をやっていると、「ご両親はクリスチャンなの?」みたいなことを聞かれるのですが、とんでもない!うちの両親はそんなに信心深い人ではありません。私も宗教とは全く無縁の生活をしています。でも、当然「レクイエム」や「ミサ曲」を歌ったりするわけですから、聖書には多少の興味はありますし、聖書に書かれていることは『全て真実だ』と信じているのです。
昨日、一昨日とバッハにゆかりのあるトーマス教会に入り浸っていたので、今朝は、『ニコライ教会』の日曜礼拝に参加してみました。ニコライ教会は何を隠そう、あの悪名高き壁が崩壊する(しかも無血で)きっかけとなった集会が開かれていた所だそうです。教会の中では何も「壁をなくそう」なんていうスローガンをかかげて結集していたのではないらしいのですが、平和と人類の友好を願う人々の気持ちが、いつしか国家の大義を語るかたくなな人たちの心をも優しく解かして行ったのでしょう。
トーマス教会に比べ、明るく、多少ゴージャスな教会内部ですが、礼拝の参加者は格段に少なかったです。知名度の違いでしょうか?キリストの血と体の象徴であるワインとパン(実際にはビスケットのようなもの)をいただきました。

昨日やり残したことが2つあります。

1つは『楽器博物館』に行くこと、もう1つはうちのピアノの上に飾るテーブルセンターのようなものを買うこと。
『楽器博物館』はころころと場所を変えていて、私の持っている出版年度の違う2冊のガイドブックでも、ここへ来てからもらった地図でもそれぞれ別な場所が示されています。たぶん最新のものと思われる現地の地図によると、トーマス教会の近くのはずですが、その辺り一体大きな工事中で全ての道を注意深く歩いたけれども見当たりません。あるミュージアムショップの店員さんに聞いてみると、やはり違う場所にあるようなので、そこを目指して行ってみましたが、結局見つかりませんでした。トラムの運ちゃん、お散歩中の老夫婦、そこらの住人らしきおばあちゃん、何人かに尋ねましたが、誰も知らないと言うし、あきらめました。

テーブルセンターのようなものは、昨日あるお店で見つけて良いなあと思ったのですが、まだ他の店に良いのがあるかもしれないし、もう少し探してみてからにしよう・・・と思ったのです。ところが、今日は日曜日、個人商店はもちろんデパートも休みで探すどころじゃないし、おまけに昨日見つけたお店の場所すら分からなくなってしまいました。確かこの通りだったはず・・・このお店のもうちょっと先にあったような・・・と思い出してみてもそれらしきお店は見つからず、閉まっていたならそれはそれで諦めもつくのですが、自分の方向音痴加減にいささかあきれてしましました。

06040213.P4020090.jpg06040212.P4020089.jpg06040704.jpgこのあやしげな入り口、カーテンはゲーテの名作『ファウスト』にも出てくる『アウアーバッハスケラー』です。いわゆる居酒屋。一人旅の寂しいところは、夜、ふらふらと居酒屋でお酒を飲むのはさすがに恐くて出来ないことです。もう少し、語学力がついたら出来るかもしれませんが。
なので、仕方なく昼食に出かけました。
でも、せっかくなので、ビールは注文。これらの旅行中の写真を見た口の悪い友達は『美佐~またビール注文してるの~!!!』店内には『ファウスト』の名シーンなどの絵がかけられているのですが、他人様が食べているわけで写真をとるのも失礼だし、第一、充電がなくなりかけてきて、あまり写真をとれない状況だったので(^^;あきらめです。何だか、今日はあきらめてばっかり。。。

この店の向かいには、『メフィストフェレス』というまたまた妖しげで魅惑的な名前のカフェがありました。本当に怪しげな店でした。


←ナフキン、コースター、お勘定書












06040215.P4020091.jpgもうすぐドレスデン駅に着くころ、車内から撮影。
写真ではあまり分かりませんが、水に浸かってます。

ドレスデン駅に着くと、大きな工事をしておりものすごい状態でした。それが、「洪水」で駅が大打撃を受けたせいなのか、私には判断できなくて、ますます不安が増大。



06040216.P4020092.jpg『キッピングホテル』と言って、元貴族のお屋敷をホテルに改装したもの。ガイドブックに載っていて、メールで予約をしました。オーナーのおじさんはなかなか気さくで親切な人で、尋ねもしないのに、観光名所までの説明をしてくれたり、日本語のガイドを出してくれたりしました。ドイツ人のしゃべりは本当に良く聞き取れる人、そうでない人様々でしたが、そのおじさんのはとても良く聞き取れました。

ホテルに着いたのは4:00頃でした。日本だったらそろそろ日も暮れてくるし、今日はもうお休み~って感じですが、8:00頃までは明るいので、まだまだガツガツ観光に行きます!

ホテルは駅の南側から徒歩2分くらい。主要な観光スポットのある旧市街までは駅を通り抜けて(ドイツの駅には改札がないので、自由に通り抜けられるので超便利)2キロほど。トラムに乗って行くという手もあるけど、何番に乗るか分からないし、ライプツィヒでの反省を活かし、ドレスデンカード(フリーパス)は買わずに歩くことにします。
駅からまっすぐに旧市街に伸びる「プラガー通り」は幅100メートル以上ある壮大なスケールなんですが、その両脇には超近代的なお店が立ち並び、古都の面影は微塵も感じられません。ドレスデンと言えば、何しろ美しく気品にあふれた街というイメージがあったのに、それを見事に打ち砕かれてしまいました。

何だかとてもガッカリ(T_T)

06040217.P4020093.jpg日本でも『聖十字架合唱団』で有名な『聖十字架教会』に行くと、なにやら行列が出来ていて、ちょうど5:00からモテットが始まるということでした。どうしようかと迷ったのですが、入ってみました。(10ユーロ)せっかくなので、2階に上ってみました。
歌っているのは、聖十字架合唱団ではなく、ドレスデンジングアカデミー(こちらも有名ですね)この人たちと対峙する位置、つまり2階のパイプオルガンのある場所にも合唱団が陣取り、掛け合って歌っていました。


06040218.P4020094.jpgHochwasserの様子が良く分かります。










06040218.P4020095.jpg同じ位置から反対側を撮影
















06040310.P4030100.jpg少しでもお天気が良いと、レストランやカフェではテラス席に人がいっぱい。でも、私が旅行した3月下旬から4月上旬は、まだそんなに気温が高いわけではありません。特に、ドレスデンは川っぷちだからか?とても風が強くて冷たくて、とても外で食事しようなんて気分にはなりませんでした。ましてやビールを飲むなんて・・・
でも、そんな人々の強い味方がストーブです!

←の緑色の物体。実はこれはストープです。近寄ると結構あたたかいです。これが、テーブル毎に置いてあるのです。上の写真の通りの両側にあったものを撮影




06040219.P4020097.jpg06040218.P4020096.jpgヒルトンホテルの中にある日本料理屋さん『小倉』に行ってみました。

店に入ると「いらっしゃいませ!」テレビにはちびまるこちゃんや笑点が。黒板のおすすめメニューの日本語も日本人が書いた文字だということが分かる自然な字体で嬉しい。
やはり、こうなったらお寿司と日本酒でしょう。。。おしぼりやお通しが出てくることさえ感動してしまいます。やはり日本のシステムは素晴らしい!!
先客が2組いましたが、いずれもドイツ人。その中の1人がミソズッペ(味噌スープ)の食べ方を店員さんに尋ねていたり、ナイフとフォークを持って来て欲しいと頼んでいたりする姿が微笑ましい。「私はこの食べ方を知っているのよ~ん」とこの国へ来て初めての優越感(^O^)味も美味しかったし、値段もまあまあ、3000円ほど。

ヒルトンホテルさんには明日も明後日もたっぷりお世話になることに。。。

*4月3日(月)ドレスデン第二日 を読む→



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2006年ドイツ旅行−7 [ドイツ旅行記]

*4月1日(土)ライプツィヒ第二日

06040208.jpg←ホテルでの朝食
ドイツ人にとって朝食はとても重要らしいので、どこのホテルでもバイキングは充実しています。でも、10種類近くあるハム(Shinken)とチーズのうち、私が食べられるのはほんの数種類なので、何日も続くとだんだん飽きて来ます。
とは言え、結構たっぷり食べて、おやつ用にバナナを失敬。身体に合っているのか、快調快便です!!


06040110.P4010079.jpg今日は、芸術家たちの家を訪れました。最初に『メンデルスゾーンハウス』メンデルスゾーンという人については、正直なところ、あまり興味がないのですが、(曲もあまり知らないし・・・)とても才能豊かな人だったそうです。
この写真は彼の仕事部屋。机の前の壁に貼ってある数々の絵は彼自身が書いたそうです。




p05.jpg次は『シューマナーハウス』
少しだけ街の中心から外れています。ガイドブックによると「休館中」ということでしたが、修復も終了したのか、開館していました。『メンデルスゾーンハウス』の管理人さんの子ども(孫かも)によると「ここから30分かそれよりもうちょっと近い」ということだったので歩くのは無理かなと思ってトラムに乗ったのですが、乗るほどの距離ではありませんでした。停留所1コで降りて半分以上戻って来ました。私のヒアリングの間違いではありませんよ~。30分=ドライツィッヒっていうのはあまりに多すぎると思い、「13分=ドライツェーン?」と聞き返したのに、「nein,dreizig」ってちゃんと言ったのですよ~~。でも、私が不審そうな顔をしていたので、慌てて「oder weniger」と言い直していましたけど。

06040111.P4010081.jpg←ピアノ拡大
クララのお父さんはブリュートナー(ピアノ制作者)と交流があったようで、彼の家でピアノのお弟子さんに教えていたようです。その時に使っていたピアノ。ブリュートナーと言えばシュタインウェイを初めとする現代のピアノに使われている「アリコートシステム」を開発したメーカー。ウィーンのメーカーのはずだけど、ライプツィヒにもショールームがあったのを翌日発見(日曜日のため休みだった)。ベルリンの知人の家の最寄り駅のすぐ近くの小さな小さなピアノ屋さん(らしき部屋)にもブリュートナーが置いてあったけど、ドイツでは割とポピュラーなのかしらん。
06040110.P4010080.jpg←シューマンが使っていたピアノ
4本ペダルです。










06040112.P4010083.jpg次は『シラーハウス』
市電に乗って10分ほどの「メンケシュトラーセ」にあります。シラーがある年の夏の間、招待を受け住んだ所。ここで、かの『第九交響曲』に使われた『歓喜に寄す』が書かれたそうです。
農民の家を間借りしているだけなので、とても質素でみすぼらしい家。シューマンやメンデルスゾーンなど都市の家とは全然違います。都市部と農村地帯では格差がかなりあっただろうことが伺われます。
シラーが来ていたベストなども展示していましたが、かなり体格が良いように思いました。
ちょっとは自分の語学力を試さなければ・・・と思い、管理人のおじさん(お兄さん?)に質問などしてみました。丁寧に答えてくれました。昨年も今年も思いましたが、皆、自分の仕事に誇りを持っているのか、『よく分かりません』と答える人は誰もいません。ガイドの人も丸暗記の暗唱ではなく、自分の言葉で説明してくれるのが印象的でした。

06040114.P4010084.jpg今回、ライプツィヒでは運が悪くオペラもコンサートも聴けません。なので、せめて今日は、『ゲヴァントハウス』のフュールングに参加しようと思い、わざわざ朝イチで窓口に行って時間を調べて来たのですが、(しかも冠詞を間違えたので理解してもらえず、「は~?」という顔をされた。たまたまそこに居合わせたお姉さんが笑いながら「彼女はこう言ってるのよ〜」みたいに通訳してくれて解決。)『トーマス教会』のモテットの終了時間と微妙な感じ。でも、モテットではバッハのロ短調ミサ曲のクレドを演奏するらしいので、絶対に聴きたいので、途中で抜け出すことを覚悟して、まずはモテットに参加。

その前に『トーマス教会』の向かい側のカフェで遅めの昼食。すご~くこってりしているパスタだということ理解していただけると思います。飲み物はせっかくなので100種類くらいある中から「ヨハン・セバスチャン・バッハ」という名の紅茶を注文しました。どこが「ヨハン・セバスチャン・バッハ」だったのかは分かりません!

やはりモテットを途中で抜け出すなんてことは出来なくて、『ゲヴァントハウス』はあきらめました。

06040117.P4010085.jpgその代わりに『トゥルムフュールング』というのに参加。トーマス教会の塔の上に行くツアーです。モテットが終わって出て来たら、看板が出ていたのですが、こういうガイドブックには載っていないようなツアーが注意してみていると結構あるんですね。

トーマス教会自体、華麗さとは無縁な「質実剛健」な感じなのですが、塔に上がる階段や屋根裏(というのでしょうか)は特に昔のままで古めかしく、こんな状態のままで倒れないのだろうか????と心配になります。日本的に言えば震度5でも危ないって感じです。
驚いたことに、その塔の最も高い所にいくつかの小さな部屋があり、人が住んでいたようなのです。赤ちゃんのゆりかごのような物もあったところを見ると、家族連れだったのでしょうか。「ハメルーンの鐘つき男」なんていうお話があったような気がするので、そういう人たちが住んでいたのでしょう。案内文によると、かなり最近まで住んでいたようです。

↑その「鐘つき男」が付いていたのか・・・

06040117.P4010086.jpgやたら早口で陽気なガイドのおばあちゃん。赤いリボンなんてつけちゃっておちゃめ。なんとカギを忘れて来て、大慌てで事務所(?)に取りに帰るがやはりなかったみたい。で、仕方なくガイド仲間のおじちゃんがやってきて、貸してくれた。
彼女の話がほとんど理解できなかったのは、早口のせいなのか、方言が強かったのか、はたまた私の実力不足か・・・不明。けれど、他のドイツ人たちは楽しそうに笑っていた。









06040117.P4010087.jpgバッハ先生の頭を上からありがたく拝む。

この写真に対する説明は「新百合混声合唱団」のHPに詳しく載っています。

*4月2日(日)ライプツィヒ~ドレスデンへ を読む→

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2006年ドイツ旅行−6 [ドイツ旅行記]

*3月31日(金)ライプツィヒ観光

06033113.P3310065.jpg『どうしよ、どうしよう。。。。』と考えてみたけれど、まあ考えても仕方ないし、とりあえず、今日の観光に出かけました。

ずんずんと歩いて、まず、街の東側から。オペラハウスに行きました。かなり近代的な外観ですが、中に入ると、チケット売り場はさらに近代的な感じでした。(近未来的な、と言っても良いくらい)





06033113.P3310064.jpgホワイエには、古いグランドピアノがありました。照明がとても暗かったので、写真は何枚もチャレンジしましたが、どれもうまく撮れませんでした。このダルマ足は我がベヒシュタインでよく見かける形ですが、たしか、ブリュートナーだったような・・・。このピアノの由来らしきことが書いてありましたが、「花文字」と言うか、こじゃれたレタリングのような文字だったので、読めませんでした。


06033113.P3310067.jpgオペラハウスとちょうど向かい合う形で、アウグストゥス広場をはさんで、ゲヴァントハウスがあります。ゲヴァントハウスは世界最古の私設オーケストラで、メンデルスゾーンが初代常任指揮者だそうです。






06033113.P3310066.jpgチケット売り場のあるメンデルスゾーンホール(室内楽用)への入り口。いかにも重そうな鉄製のドア。どこへ行ってもドアがずっしりと重くて、小柄な私には(!)開け閉めするのが大変だった。これ冗談じゃなくて。片手でなんてとても無理で、身体全体で思いっきり押しあけないと動きません。一度など、後から来た女性が笑いながら、助勢してくれました。(ここ笑うトコ)

当夜のチケットは、ウェブサイトでは売切ということになっていたのですが、当日券はあるかと思って「一応」尋ねてみましたが、やはりありませんでした。あきらめて、次の観光へ。
06033114.P3310068.jpg←ゲーテ像(旧市庁舎前)

ライプツィヒは小さい街なんですが、文化水準が高く、数々の著名な芸術家がこの地に住んでいました。特に音楽をやる私たちにはバッハが最も活躍し最期を迎えた地としてお馴染みですが、それ以外にも、先ほどのメンデルスゾーン(彼がいなければ我々が今日バッハ先生を知ることはなかったでしょう)、シューマン夫妻、ゲーテ、シラーなど。


06033114.P3310071.jpg←バッハ像(トーマス教会前)














06033114.P3310073.jpgトーマス教会に入ると、ちょうどThomaner Chorがプローヴェをやっていました。(2階のような所)感動!何人かの観光客がじっと聴いていました。なんだか自然と涙が出て来ました。

トーマス教会は、その位置する場所、街の規模と比してみても、『街の中心』ということが感じられます。

私は、3/31の18:00~のモテットと、翌日、3:30~のモテットと2回参加しましたが、上の写真と同じく超満員で、ギリギリに駆け込んだ私は座る場所を見つけるのが大変でした。そして、賛美歌や祈祷の言葉を皆がスラスラと言えることに驚きました。生活の中に、キリスト教が根づいているのですね。


p06.jpg←「トーマスショップ」で販売しているカード

2004年のクリスマスオラトリオの風景。
バッハのお墓がある方の側から撮影。

トーマス教会内部および、左←の写真についての説明は、当時ピアニストを務めていた「新百合混声合唱団」のHPに詳しく載っています。(バッハ先生の頭上からの撮影写真もあります!)

06033115.P3310075.jpg06040704.P4070116.jpgトーマス教会の向側にある中古楽譜屋さんで、ベルリンで見つけられなかった「カルミナブラーナ」の旧版を探しました。テープで補強され、製本はバラバラのボロボロ状態で10ユーロ(約1450円)は安くない値段だけど、嬉しかったので買いました。この版のピアノ編曲の方が絶対に良いのに、なぜ絶版になってしまったのでしょうか???
突然の雨に通りがかりの人が、ドアを開けて教えてくれ、店の人はあわててビニールシートをかけていました。















06033114.P3310070.jpg旧市庁舎前の市場(マルクト)









06033114.P3310069.jpg大好きな白アスパラ(シュパルゲル)
日本で買うととても高級品だけど、市場では二束三文で売っています。








06033115.P3310076.jpg街の西側に『シュタージ博物館』というのがあります。シュタージとは国家秘密警察のこと。壁があった時代に、彼らが使ったさまざまな諜報活動の道具やら何やらを展示してあります。いかにも怪しげで、カビ臭い建物がいっそう気味悪さに拍車をかけておりますし、展示の仕方も美しさや見やすさからはかけ離れていて、そういう所にこの博物館を存続させているこだわりを感じてしまいました。(しかも無料)

←は「ピオニール」の子どもたちが来ていたという制服。ピオニールってよくは知らないけど、つまり「僕たち国家に忠誠を誓います集団」の子ども版だと思う。ショスタコービチの森の歌を演奏した時に、確か「ピオニールは歌う」というような題の楽章があった。

06033116.P3310077.jpg←同じく『シュタージ博物館』の展示。
反逆の罪に問われた人が入る監獄。「白ばらの祈り」という映画で、主人公の女性が入っていたのとそっくりだったので撮影。映画では、この正面の窓から「解放」されることを祈ったり、同罪の兄や戦地に赴いている婚約者を思ったり、父母へ詫びたりする。





06033116.P3310078.jpg『シュタージ博物館』を出て、トーマス教会のモテットに戻るまでの時間に、夕食をとります。この2ヶ所のちょうど中間くらいに『カフェバウム』というレストランがあります。シューマンも行きつけだったとか。おだんごみたいに見えるのは「クネーデル」と言って、じゃがいもを潰して再び練り合わせたもの、ザクセン地方の名物(?)ガイドブックにはまずいって書いてあったけど、私は結構好きかも
(^^;)

*4月1日(土)ライプツィヒ第二日 を読む→
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2006年ドイツ旅行−5 [ドイツ旅行記]

*3月31日(金)ベルリン→ライプツィヒへ

06033108.P3310050.jpg早いもので、ベルリンの4泊はあっという間に過ぎ、ライプツィヒに向かいます。
ところで、日本ではもうほとんど見かけなくなった、市電(トラム)がドイツではまだ健在で、市民の足として立派に活躍しています。

←ベルリンのトラムは黄色




06033109.P3310053.jpg東側が生んだアイドル「アンペルマン」

とても可愛い!

でも、最近工事している信号では、ごく普通の模様が多い。
とても残念です。。。




06033109.P3310052.jpg06033109.P3310051.jpgレストランに入って食事をすると、小1時間はかかります。そこで、急いでいる人は立ち食いスタンドや、サンドイッチを電車の中で食べています。(立派なビジネスマンやお洒落なおねえちゃんも!)
その中間くらいな感じでしょうか、ドトール的な(つまり先に会計を済ませるセルフサービスの店)もあります。今朝は、地下鉄の入り口脇のそんなお店で朝食をすることにしました。パンの種類が驚くほど豊富で安いこと。また、新聞の他、飲み物やヨーグルト、お菓子などの軽食、ちょっとした雑貨なども売っており、コンビニを兼ねているのでしょうか。。












06033112.P3310055.jpgベルリンからライプツィヒに行くためには、DB(ドイチェ・バーン)というJRみたいな鉄道に乗って行きます。各駅停車から新幹線までさまざまな列車がありますが、私はもちろん新幹線(ICE)。所要時間はおよそ3時間。日本の新幹線よりもずっと快適!

途中、エルベ川を超えるのだけど、結構水位があり、近くの席のサラリーマン風の人が何か言葉を交わしていた。その言葉の意味は、後ほど、ホテルに着いてから分かるのだけど。。。




06033110.P3310054.jpg←ベルリンオストバーンホフ(東駅)構内の果物屋さん
東側の地域やプラハ、ブダペストなどへの国際列車も発車する。










06033112.P3310056.jpg←ライプツィヒ駅構内の花屋さん

このようにカラフルなお店がたくさん。
どこへ行っても、花屋さん、果物屋さん、八百屋さん、本屋さんが多かった。






06033113.P3310058.jpgライプツィヒ駅












06033113.P3310059.jpg公衆電話

ショッキングピンクの受話器がとてもラブリー!また、ボックスのてっぺんには『T』という目印が付いています。
この写真はテレホンカードとコインと使えるタイプですが、コインのみのタイプもあります。










06040704.P4070111.jpgライプツィヒカード

交通機関に乗り放題&美術館などの割引。
けれど、ライプツィヒは小さい街なので、こんなカードは必要なかった(^^;








06040704.P4070113.jpgテレホンカード(10ユーロ用)

駅売店などで売っています。チャージ式らしく、レジで「ちゃんと10ユーロ入っていますよ」という証拠を見せてくれる。
5ユーロ用は緑色。






06033112.P3310057.jpg一度、部屋に入り、荷物を置いて、ちょっと一息。ベルリン知人の家にはテレビがなかったので、とりあえず、ニュース番組にチャンネルを合わせた。。。。

びっくり!!!
ドレスデンで「Hochwasser」だと言うではないか。。。。しかも映像に写る街の被害の様子はとても尋常ではない雰囲気です。ライプツィヒに2泊した後は、ドレスデンに行く予定なんですけど。。。

*3月31日(金)ライプツィヒ観光 を読む→
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