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映画「レ・ミゼラブル」 [テレビ・映画など]

 2/11の祝日に、旦那さんと久々映画鑑賞。「レ・ミゼラブル」を観ました。ミュージカル好きな私が絶対に見逃したくなかった映画に付き合ってもらった感じ。旦那さんは、これがミュージカル映画だって知らなかったらしい。。。なので、ストーリーをはしょり過ぎだとか、まだ歌ってる〜〜もういいよ、分かったから先に行こう〜、とか思ったらしいけど、私的には、ミュージカル通りに進んでくれてありがとう〜って感じ。このあたりは認識の違いだから仕方ないですね。

 さて、「レ・ミゼラブル」というのは日本語では「ああ無情」になる訳なんですが、この「ああ無情」の方がこの膨大な(らしい)原作の内容を端的に表しているような気がします。と言っても、私は原作をちゃんと読んだことがないので、良く分からないのですが(笑)。どなたかがFB上に投稿していたように、ジャン・バルジャンは、身分を隠して市長になり、いい人の顔してるけど脱獄犯じゃ〜〜ん、とか、コゼットをお金で買い取って人身売買じゃん〜〜とか、ジャベールは嫌な人のように思われてるけど本当は職務に忠実ないい人じゃん〜〜とか。。。本当にその通りでございます〜。ま、ミュージカルやオペラに内容を求めてはいけないというのが私の持論ですから、そういうことには一切お構いなく,とにかくナンバーがどれも素晴らしいから良いのだ!!以上。

 って言い切っちゃうと、終わっちゃうんですが。今度、改めて原作を読み込んで、ビクトル=ユーゴー(でしたっけ?)の言わんとするところを考えてみたいと思っています。ただ、今、ミュージカルを観ての感想というレベルで語ろうとするならば、物語に出て来る人誰も悪くないし、みんな頑張って生きている、そうするしか仕方なかったんだ〜ってことだし、でも、結果として誰も幸せになれていない、「ああ無情〜〜」って思うんですね。それが人生なのかなと。

 ジャン・バルジャンは確かにパンを盗んで、脱獄して身分を偽って、悪いことオンパレードだけど悪人じゃない、でも脱獄犯は捕まらなきゃいけないと思うけど、ジャベールがやってくると「チッ」って誰もが思ってしまうし。でも、ジャベールは、私たち人間の弱さの象徴かなって思います。人間は弱いものだから、法律とか正義とかそういう大義名分に身を委ねたいのだ。だから自分の心で考えなければいけない事態になった時、彼はどうしていいか分からなくなり自殺してしまうのね。

 マリウスだって、革命に燃えていた青年はどこへやら、命が助かり愛する人が出来たら、やっぱり金持ちに逆戻りで、かつての仲間の貧乏人(テナルディエ夫妻)をつまみ出そうとする。これってかなりヒドいことだと思うんですけどね。そのテナルディエ夫妻もコソ泥まがいのことばかりしているけど、根は悪くない、憎めないキャラで、この暗〜いお話に一服の清涼剤になっている。このくらいたくましくなきゃ生きていけない時代だったんだってことです。

 自分の子供が出来てみると、ファンティーヌの無念さがよく分かります。コゼットを残して死ぬに死ねない気持ちだったろうと。彼女にとっては正義も悪もなく、ただコゼットを守るということだけで生きてたわけですし。そういう気持ちで家に帰って来て、子供の寝顔を見ていると、たまらなく愛しくて絶対にこの子は自分が守るんだ〜っていう気持ちになりますね。

 結論的には、まあ何もないんですが、こうやって良くも悪くも,色々と考えたり語り合ったり出来る映画がいい映画だってことで、旦那さんとも久しぶりに、詩ちゃん以外の話題で盛り上がりました。涙も枯れるくらいよく出て、心の洗濯も出来たと思います。
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天心の譜(しらべ) [テレビ・映画など]

150526_279062138881901_1558398778_n.jpg 先日観た映画「天心の譜」をご紹介します。

 私が長年お世話になっている指揮者の小林研一郎先生が、ほぼ全編にわたってご出演されているということで、興味半分で観に行きました。先生がここ数年続けている「コバケンとその仲間たちオケ」に知的障害を持った人が参加して演奏会をした、という内容がほぼ半分、あとは、スペシャルオリンピクスの様子と、震災で大打撃を受けた先生の故郷いわき市に訪問された時の様子など。

 懐かしいサントリーホールでのお誕生日コンサートのリハーサルの映像から始まり、最初から涙炸裂。先生、名言が多すぎです!どうしてあんなに感動的な言葉を次々とサラッと言えるのでしょうか?その人の持つ可能性を瞬時に見抜き、力を200%発揮させ、音楽を180度変えさせる魔法の言葉です。

 感じるところが多すぎて、個人的な感情が入り過ぎて、文章には書き切れない感じです。映画を見てくれたら、色々なことを感じると思います。1つだけ、「息という字は、自分の心と書く。」というのが一番印象に残りました。息を合わせて〜というのは心と心を合わせることなんだと。
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わが母の記 [テレビ・映画など]

井上靖の自伝的小説を映画化した作品「わが母の記」を見ました。

号泣することを期待して(覚悟して?)出かけたのですが、意外とそうでもなかったです。それは、感動しなかったからというわけではなく、身につまされる部分とかが多くて泣くに泣けなかったということです。

特に前半は、伊上洪作(井上靖)のいかにも昭和の父親像的な一国ぶりにムカついたり、旧家然とした家族たちの日常にいらついたりしながら見ていました。また、母の一挙手一投足は天然なのかボケなのか良く分からない様子に、思わず笑っちゃう部分もありましたが、認知症独特の人を悪気なく傷つける一言を平気で言うというか、嘘をついているつもりなく嘘を言うというか、そういう場面に「怒っても仕方ないんだけど、当事者はたまらないんだよなあ」と思いながら見ていました。

うちは、認知症ではないのですが、身体が動かなくなって来て、でも逆に頭だけがハッキリしているので始末が悪く、性格の悪さが輪をかけてひどくなり、本当に困り果てているところでもあるので、この映画もある意味ひとごとではなく、年をとるということは何とも言えないものがあるなあと思うわけです。

涙が出て来たのは、母が洪作が子どものころに書いた詩を暗唱した場面です。ここは、映画の中の洪作と同じく、どうにもこらえられないという感じでした。離れていても、いや離れているからこそ、母の子どもを思う気持ちは強いのだということです。自分が母になったから余計に分かることでもありますが、どんな状況にあっても、どんなことをされても、母は子どもを愛しているもんだと思います。(世の中にはそうでない事件が多いのが信じられないですが。)

ただ、この映画を通じて、1つ感じたことは、人の気持ちというのは(真実はどうであれ)相手がどう受け取ったかが全てであるということです。例え年月が経って、真実を知って気持ちが溶けたとしても、誤解していた間に育まれた人格であったり、人間関係であったり、そういったものは過去に遡って修正することは出来ないわけです。だから、「いつか分かってくれる時が来る」とか言って弁明しないのは、美談ではあるかもしれないけど、それによって人間が曲がってしまうかもしれない危険もあるのだから、やはり気持ちは正しく伝える必要があるのだと思います。

映画のチラシでは、「初めて知る、母の想い。50年の時を経てつながる、家族のラブストーリー」と書いてあります。これは映画としては感動的だけど、やはり50年という時間を無駄にしてしまったんではないかなと思ってしまいます。初めから母の想いが伝わっていたなら、もっともっと良い家族になれたかもしれないし、違った人間関係が生まれたんでしょう。

と、これは家族との気持ちを通わせるのが苦手な自分に対する戒めであります。
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映画「生まれる」 [テレビ・映画など]

 今日は,映画「生まれる」の自主上映会というのに、親子3人そろって行ってきました。詩ちゃん、2ヶ月にして映画デビューです!色々な家族の赤ちゃん誕生のエピソードを集めたドキュメンタリーで、キャッチフレーズが良くて「全ての子宮出身の人に捧げます」って。それって全員じゃん!赤ちゃん連れ大歓迎の上映会なので、会場には小さな赤ちゃんがいっぱい。とは言え、詩ちゃんほど小さい子はあまりいませんでしたが。。。

 内容は、とても感動的でした。18トリソミーと告げられたけど生むことを選択し赤ちゃんと一緒に精一杯生きている親子、出産予定日に死産という悲しみを乗り越えて第二子を授かるまでに立ち直った夫婦、妊娠・出産により親に虐待されていたという過去と向き合う母、など。そして、赤ちゃんはみな、親を選んで生まれてくるということ、それによってつらい育児でも癒されるとか。

 前半からかなり涙涙な感じだったのに、詩ちゃんが妙に機嫌良く、パパのお膝の上でニコニコニコニコと笑いかけて、ついつい微笑んでしまいました。自分が親になって育児をするとかしつけをするとか想像もできない世界でしたが、それも運命というかそういう風にプログラミングして私自身が生まれて来たのかな。生まれるという意味を色々考えていた時期もあったのですが、今はそんなこと考える余裕もなく毎日が過ぎて行きます。何もする時間がとれなくて睡眠時間も足りなくてしんどいですが、詩ちゃんがニコっと笑った瞬間に「よしよし〜、可愛いねえ」と頭をなでなでしてしまう自分がいます。不思議ですね〜。そうやってみな命をつないで来たんですね。
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黄色い星の子供たち [テレビ・映画など]

 今日は映画の日なので、シャンテシネに「黄色い星の子供たち」という社会派の映画を見に行ってきました。1942年に、フランスパリで起きた、ユダヤ人一斉検挙を映画化したものです。そういう歴史ものが私は好きなのですが、詳しいわけではないので、ドイツでユダヤ人を検挙するなら分かるけど、何でフランスで???っていう疑問がまずあります。それにそもそも「ユダヤ人って」何???ってところからなんですよね。私たち日本人は日本国籍ですが、ユダヤ人って国籍は色々なんですよね。さっき、ちょこっと調べてみたんですが、「ユダヤ人」ってユダヤ教を信ずる人という意味と、ユダヤの民族という意味があるらしく、近代はユダヤの民族っていう意味で使うことが多いと書かれていました。で、だから、ユダヤの民族って何???ってなるでしょう?でも、そこまでは良く分かりませんでした。

 映画の中では、ユダヤ人は胸に黄色い星のワッペンを付けて生活しなければいけないことになっていて、そうすれば「あいつはユダヤ人だ」って一目で分かるわけですが、黙って隠しておくわけにはいかなかったのかな?とか色々考えちゃいますね。フランス人は比較的ユダヤ人に穏便かつ寛大で、一斉検挙の朝も、2万4000人を予定していたのに、1万人は市民たちが匿ったっていうんです。それに、憲兵たち(って言うのかな?)も、例えばズルして逃亡しようとする人にも気づいていながら見逃したり。そんなに匿えるんなら、ワッペンなんて最初から付けなければそもそもばれないんじゃないかなって思ったり。それともユダヤ人の誇りとして堂々と胸に勲章のごとく付けていたのでしょうか。よく分からないんですが。公式サイトとか見ても、あまり詳しいことも書いていないし。生き証人もほとんどいないので、事実とかがあまり明らかにされていない部分もあるかもしれませんが。

 それにしても、結末としては、検挙されたユダヤ人1万人は、収容所に送られ、最後はもちろん処刑されたわけです。その部分はあまり描かれていなくて、主に収容所での出来事などなんですけどね。そして、歴史的事実としては、最終収容所に送られた子供たちは1人も帰って来なかったそうですが、映画の中では帰って来ていたようです。そこだけは事実と違うのかな。

 いずれにしろ、かつてこういう事実があったということ、フランス政府は50年間ひた隠しにしていたというか、認めていなかったそうです。責任逃れってやつです。そして、私はもちろん今日まで知りませんでした。でも、こうして事実を知ること、興味を持つこと、分からないことを調べたり考えたりすること、がこういった社会派の映画を作る(見る)意味なんでしょうね。

 今年も、もうすぐ終戦記念日がやってきます。。。
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地デジ [テレビ・映画など]

 昨日の正午で、アナログ放送が完全に終わり地デジに移行しました。

 砂嵐になる瞬間を私も見てみたかったですが、うちは既に地デジなので。この数日、駆け込みでアンテナやチューナーを買う人とかのニュースがたくさん放送されていましたが、ハッキリ言って情けない!こういう人たちは、きっと「どうせ、いざとなったら延期されるのだろう。」とタカをくくっていたのでしょうね。そういう噂もずいぶん飛び交っていましたが、それだけはやめてほしいと思っていました。だって、正直者がバカを見るような世の中は大っ嫌いだからです。年金などいつもそうですよね。救済策とか言っちゃって。それじゃ、最初からきちんとしている人は報われないし、そういう風に最後の最後に救うからダラシない人がちっとも減らないんです。だから、絶対に地デジ移行は延期せずモタモタしていた人はテレビを見られなくなったらいいと思っていました。

 中には、経済的に買えないという人もいるという擁護説を唱える人もいます。でも、本当にそうでしょうか?人って、二言目には「うちは経済的に無理。」って言いますよね。そう言ってしまえば誰も反論できないからです。でも、例えば今回の場合、新しいテレビを買っても2〜3万、(そりゃ高いのはいくらでもあります。)チューナーだけなら数千円。今すぐ、お財布から出せと言っているわけではないんです。何年も前から「いついつまでに用意してください。」とお知らせしているんですから、毎日少しずつ節約すればそれくらいのお金は捻出できるでしょう。そんなことも計画的に出来ないから、移行の当日になって「あれ〜本当に映らなくなっちゃった!!」と慌てることになるのです。

 大の大人がこんな調子ですから、子供たちに夏休みの宿題は計画的に早めになんて偉そうなことは言えませんね。きっと、そういう家庭では今年も8/31に大慌てで家族総出で宿題を片付けるという光景が繰り広げられるのでしょう。。。
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生まれる〜最終回 [テレビ・映画など]

 「生まれる」が最終回を迎えました。初めは楽しみに見ていましたが、だんだんグダグダになってきて、最後は腹立たしい思いもしながら見ていました(だったら見なきゃいいじゃん!)

 この家族は呪われているのか???というほど、色々な問題が次から次へと襲って来て、それらが大した対応も苦労もないまま、ただ何となく問題解決してしまって、いつのまにか仲良し家族に戻っている・・・というあり得ない展開。まず、様々な問題を盛り込み過ぎで、「は〜〜〜???今度は何???」って感じだったし、一見、仲良さそうな家族なのに、肝心なことは何も話さず、「心配をかけたくない」っていう言葉で黙っている、「仲良し家族ごっこ」に笑っちゃいました。劇中、何度も「何とかなるの神様」っていう台詞が出てきましたが、良く言われるように、「何とかなる」んではなくて「何とかする」んですよね。でも、この家族はホントに「何とかなって」しまって、そんなに世の中甘くね〜よ〜!って突っ込みたいです。

 51歳で子供を授かり生むということは、そんなに簡単ではないし、次女の高校でのイジメ問題も根が深いし、長男の本当のお父さんの問題は、あんな風に簡単にお父さんが「いい人」になって終わってしまうなんてあり得ないし、第一、長男だって警察のご厄介になるようなことをしてるのに、それらもハッピーエンドで終わっている。。。西村知美演じる夫妻の特別養子縁組も簡単に決めてしまったし、全ての色々な問題が1つも深く掘り下げられることなく終わってしまって、結局、「このドラマの伝えたいことは何だったのか?」さっぱり分かりませんでした。問題提起にさえなっていなかったと思います。なので、終わった瞬間「え?終わり??」って言って、顔を見合わせてしまいました。

 全く期待はずれなドラマだったと思います。
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原発20km圏内に今も残る人たち [テレビ・映画など]

 今朝のモーニングバードで「原発20km圏内に今も残る人たち」を取材していました。まだ10人の人が暮らしているそうで、それぞれに「持病があるから。」「寝たきりの年寄りがいるから。」「動物と一緒に住んでいるから。」などの事情を抱え、「おら、ここで死ぬしかないんだ。」と言い、残っているそうです。そして、その人たちに水や食料を届け、避難を説得するために定期的に通っている町議会議員の人がいました。

 コメンテーターの意見は、当然ながら、この人たちに同情的です。テレビ的にはそう言うしかないのでしょう。。。でも、皆さんはどう思われるでしょうか?私は冷たいと言われるかも知れませんが、「そんなにその場所で死にたいならどうぞ。」あるいは、そういう人のためにわざわざ説得やら救援物資を届ける必要ないと思います。大部分の人たちは、不安を抱えながら、イヤイヤながらも、無理矢理にでも(?)避難しているのです。その人たちだって、色々な同じような事情を抱えています。何もその残った10人だけが被害者ではないのです。病人や年寄りを抱えている人、家畜やペットを泣く泣く手放して来た人、そんなの一杯います。強情な人を特別扱いする必要なんてないと思います。ただでさえ人手不足で忙しい行政の現場です。その人たちにかける手間ヒマを、もっと他の住民の方のための仕事に充てたら???って思います。故郷を離れたくない気持ちはよく分かりますが、みんな我慢しているのですから、自分だってこらえるべきはこらえないといけないと思うし、それがどうしても出来ないと言うなら、やはりそれは自己責任であきらめるしかないでしょう。皆がそういうわがままを言い始めたらキリがないのです。

 この世の中、文句言ったもんがちみたいなところがありますよね。そんなの何か変です。別な事件でモンスターペアレンツのことも報道していましたが、それも同じ。言うべきことをきちんと主張するのは大切ですが、それ以上はおしまい。こんな時ですから、少しずつ譲り合って何とか乗り越えて行きたいと思うのですが。
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 [テレビ・映画など]

 「岳」を見ました。ワンゲル子ちゃんとしては、絶対に見逃すわけにはまいりません!

 なかなか壮大な映像が美しく、良かったです。内容としては・・・そうですね。映画だから(原作は漫画)ある程度仕方ないとは思いますが、ちょっと後半は話が出来過ぎているっていう感じはしました。
 (以下、ネタバレです。)
 前半は、結構、遭難した人が死んでしまう確率が高かったのに、後半になったら皆助かってしまって、あり得ないだろうという風に思いました。あの悪天候の中、ヘリを飛ばす、うーん、あり得ない。ましてや、長澤まさみが自らの命綱を切るとか、クレバスに落ちた後、一度息が止まったのに生き返るとか、小栗旬も、雪崩に流されて足を骨折かくじいたかしているみたいだったのに、たった1人で長澤まさみたちを助けてしまうとか。うーん、絶対にあり得ない。ああいうのを見せるから、格好いいっていう部分だけを見てしまって、山を甘くみる人が出てくるんじゃないでしょうかね?

 実際には、救助隊の隊長とか、救援ヘリのマキさんのような一見冷酷なまでに冷静な判断をくだせる人が、男の中の男なのかなって思います。山に入る時は、やはり自己責任が絶対ですね。いざとなったら誰も助けてくれない、誰も恨まないっていう覚悟が必要で、その覚悟がないなら、行くべきではないのでは、と思います。救助隊をアテにしてはいけませんね。実際、自分の身ひとつ守るだけで精一杯だと思います。他人を助ける余裕なんてないんじゃないかな。

 な〜〜んてことを考えたりしていたら、今朝のニュースでチョモランマ登頂直前に日本人登山家が高山病で死亡って出てました。恐ろしいですね。どんなベテランでも、そういうハプニングに巻き込まれるんですね。山は魅力あるけど、恐いです。

 
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さよならぼくたちのようちえん [テレビ・映画など]

 昨日の日テレの芦田愛菜ちゃん主演のドラマは放送事故の話題で持ち切りのようでしたが、それはまあさておき、内容のことについて。

 放送事故があったのはちょうど半分くらい進んだこれからクライマックス〜っていうところだったので、「感動が吹っ飛んだ。」と言っている人も多いみたいですが、私はむしろ前半より後半の方が良かったような気がします。というか、前半は話が飛び過ぎて、愛菜ちゃんたちがひろむ君と仲良しな様子も、ひろむ君がどんな病気で何故あんな田舎の病院に行ったのかも、先生が何故ヤル気がないのかも何も分からず、ですから、当然、何故いきなりあの5人が幼稚園を抜け出したのかも分かりませんでした。

 そもそも、このドラマの設定に無理があると思います。戦前のサナトリウムじゃあるまいし、今日び、東京からわざわざ田舎の病院に入院しなければいけない理由があるとは思えません。(逆ならあるでしょうが。)電車賃とかが足りているのも不思議ですし、最終的に小海駅で降りられたのかどうかを見逃したのですが、たとえ降りられたとしても何のアテもなく「大きな病院」にたどり着けるとも思いません。いしだあゆみ扮するおばあちゃんが出て来た時は、このドラマはホラーか!!??と思いました。最後にひろむ君が手術をして病気が治ったとか言っている場面は、「んなわけないだろ?」と突っ込みたくなりましたね。なんか、子供たちの冒険ゴッゴとお涙ちょうだい路線が先に決まっていて、それ以外の部分は後から無理矢理あてはめた感が強いですね。

 と、ドラマの筋書きとしてはかなりお粗末だったにもかかわらず、それなりに泣けてしまったのは、なぜでしょうか?やはり子供と動物を出せば視聴率が取れるってわけでしょうか?ま、ACの3人の子供たちが出てくるコマーシャルで毎回泣ける私ですから、簡単なことですけど(汗)。ところで、あの3番めに出てくるちっちゃい女の子は何て言う子なんでしょうか?ずっと気になっています。我が家では2番めのおっきい女の子と3番めのちっちゃい女の子、どちらが可愛いか?で意見が分かれています(笑)。

 話が逸れましたが,再放送の完璧バージョンを見て、色々な疑問が解消して、思い切り感動出来ることを望んでいるような、でも、事故のあった部分だけを見れればいいや、っていう気もします。最後に、「さよならぼくたちのようちえん」という主題歌が劇中何度も流れましたが、既成の曲ではなく、出来れば今回のドラマのためのオリジナル曲にして欲しかったなという風に思います。
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