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津田理子先生レッスン、その2(ドイツ歌曲) [音楽]

 月曜日には、歌曲アンサンブル研究会の例会で、再び津田理子先生のレッスンを受けました。「歌曲の異なった時代によるピアノの役割の違い」というテーマで、私のチームはウィーン古典派ということでBeethovenを2曲、MailiedとMignonでした。歌い手は、3月の綾瀬市ロビーコンサート終了後にお声をかけてくださった米島美穂子さんと初共演。

 津田先生のレッスンは、もう何年にも渡って何回も受けているのに、毎回同じことを注意され進歩のない私。。。毎回、同じことを反省しているって、先日のソロレッスン後のブログでも書いた気がする〜。で、また今回も同じ。キャー、本当にダメな私。

 なので、どんなご注意を受けたか、っていうことは省きます。過去のブログをお読みください(なんちゃって。)で、今回は、もっと根本的なことなんですが、「録音をして自分の演奏をチェックすることは大事」ってことを思い知りました。自分では、そこそこ冷静なつもりなんです。レッスンで注意されたこともちゃんと聞いているつもり。でも・・・やはり録音を聞いてみると「こんなはずじゃなかった〜」って思うもんですね。今回は、パートナーの方が録音されたので、それを聞かせていただきました。(レッスンの冒頭で通して歌った時の演奏です。)それなりに気をつけていたつもりではありましたが、間奏で走る走る〜。いやー、1回録音を聞けば先生に注意されるまでもなく自分で気づくことです。それを繰り返していれば、きちんと演奏できるのに勿体ないことをしたと反省していています。全体的に、とてもせわしない印象で、さぞや歌いづらかったことだろうと想像します。何だか最近の私は、せっかち系の演奏になってきたかも。これも生活のせわしなさが影響しているのでしょうか?

 今回、ソロではモーツァルト、歌曲ではベートーヴェンを見ていただいたので、共通の部分もあります。まずテンポをキープすること、そしてペダリングを少なめにするということ。この2点は私にとっては大昔からの課題です。割と気分でロマンティックに弾いてしまう癖があります。またペダルは大学時代の先生が、「ペダルは曲全体に。浅さ深さ長さで調整する。」という方針だったため、その癖が抜けず、ペダルを全然なしにするということが怖くて出来ないんです。その先生のレッスンから離れてもう10年くらいは経つのに、未だにそうなんです。でも、それには私自身がさぼっているということもあります。指でのレガートの練習を怠っているからですね。でも、やはり時代様式を無視してはいけないということに遅ればせながら気づきました。

 またベートーヴェンというと、髪振り乱して鍵盤を叩きまくり、コンサートが終わった頃にはピアノの弦が切れまくって箱から飛び出ているという、風刺画みたいの印象が強くて、つい重厚に弾いてしまいたくなるのですが、そんな風になってしまったのも当時のピアノが音量も少なく、弦も細く弱く、箱も木で出来ているというものだったからです。現代のピアノで、ガンガン弾いてしまったらやはりベートーヴェンではなくなってしまうかなという気がします。

 もう1つ、今回、強く感じたことなんですが。。レッスンを受けたピアノはどちらも良く響くスタインウェイです。手入れは良くされています。音響も良い会場でした。ペダルは全然なくても良く響くし、むしろ響きすぎるくらいでした。でも、我が家のピアノは防音室に入ったベヒシュタイン。帰って来て同じように弾いてみたらとっても物足りないんです。そしてまたペダルのお世話に。。。ベヒシュタインは、弾いた通りに答えてくれる楽器と言われています。本当にそうです。嘘ごまかしが効かないんですね。だからそういうピアノを自在に操れるようになったら、きっとスタインウェイならもっともっと豊かに変化を付けて弾くことが出来るでしょうね。

 でも、逆に・・・本番のピアノってことになると、やはり、My楽器を持ち運べないピアニストの宿命として、当日のわずかな時間で「そこそこ」コントールして「それなりに」上手く弾くには、ベヒシュタインとかベーゼンドルファーは不向きだよな〜って痛感しました。スタインウェイのように良くも悪くも包み隠してくれるピアノがいいです。ということで、世の中のほとんどのホールにはスタインウェイが置かれているわけですが。。この事実をどう捉えるか。とてもコントロールしやすく上手にお化粧してくれるから良い楽器なのか。はたまた、いつもスッピンが見えてしまうから良い楽器なのか。練習用と割り切るのか。ベヒちゃんを愛する私としては複雑な心境ではあります。

 あ、それでね、もう1曲、ドビュッシーのゴリウォーグのケークウォークもレッスンで見ていただきました。こちらの曲は、家で弾いてもさほど違和感を感じません。さすが、ドビュッシーが「全ての曲はベヒシュタインのために書かれるべきである。」と言ったというだけのことはあります。たしかにベヒシュタインは、音の数が多く、不協和音の嵐、というような曲に向いているかもしれません。レッスンの話題から少々外れて来てしまいましので、この辺で。

 そうそう結論です。ソロと歌曲、2回続けて見ていただいたことで、少し見えて来た部分もあります。それらをゆっくり熟成させていきたいなと思います。
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